アブストラクト |
被災家屋からさらに南へすすみ、今度は旧国道230号をたどって戻ることにする。今立っているところからは、虻田町市街へと向かう道路が見下ろせる。いや、かつて道路であったと言う方が当たっている。今あるのは、一面火山灰に埋め尽くされた木も草もない灰色の土地である。
案内標識と、向こうの砂箱が道路であった名残りを留めている。今となっては人間が、大地をアスファルトの薄皮で覆って自然を支配したつもりになっていた頃の遺産のように思えて来る。
西山火口群を目指してひたすらに坂を登って来ると、突然地面が数段にわたって落ちる。そして、その向こう側では再び階段状になってせり上るという地形に出くわす。地溝(グラーベン)だ。向こう側の土地の地下にマグマが貫入し隆起したが、ちょうどこの当たりで土地が引きちぎられてしまったのだ。アスファルトの舗装のおかげで断層がはっきり分かりやすくなっている。
砂箱の中には、学術的に貴重なサンプルが保存されていた。2000年3月31日の最初の噴火の爆風が砂箱の鉄の扉をこじ開け、その中に火山灰が入り込んだらしい。足元にある灰は、一度水を吸って乾燥しているので硬く、このようにさらさらの状態で残された灰は、今回の取材ではここにしか見つからなかった。
目の前に大断層が立ちはだかった。もはやこれは断層というよりは巨大な壁と言うのがふさわしい。高さは有に10mはあるだろうか。一足早く断層に登った岡田先生が向こうに小さく見える。十分過ぎるくらい人知を越えた自然の力を見せつけられたが、またもや言葉を失う。朝から歩き回った足には少々きつい最後の登りとなる。(文/中神 雄一) |